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近代オリンピックとクーベルタン

ピエール・ド・クーベルタン男爵の写真

近代オリンピックの父クーベルタン

4世紀末に途絶えた古代オリンピックを近代オリンピックとして復興させたのは、フランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵でした。
1863年、パリで生まれたクーベルタンは、古代ギリシャ・ローマ文明に興味を抱く少年でした。その後、クーベルタンは、イギリスの中等教育に興味をもち、20歳のときにイギリスのパブリックスクールを訪問しました。このとき、スポーツが青少年の教育に重要な役割を果たしていることを知り、深い感銘を覚えました。
人の成長には肉体と精神の調和が重要だと考えた彼は、やがて、オリンピックを復活させてスポーツによる教育を確立しようと志すようになりました。

近代オリンピックの始まり

1894年6月23日、パリ国際アスレチック会議が開催され、クーベルタンの構想を協議し、オリンピックの復興が満場一致で可決されました。
その際、第1回大会をアテネで開催することが決定され、同時に次のことも決まりました。

  • ● 1896年を近代オリンピアード(大会と次の大会との間の4年間を一周期とする古代の暦にならった単位)の1年目とする。
  • ● 古代の伝統に従い、大会は4年ごとに開催する。また、その理念を広めていくために、大会ごとに開催地を替える。
  • ● 競技種目は近代スポーツに限る。
  • ● オリンピック大会に関する最高の権威をもつ国際オリンピック委員会(IOC)を設立し、初代会長をビケラス(ギリシャ人)、事務局長をクーベルタンとする。

1896年に開催された第1回アテネ大会は大成功を収め、回を重ねるごとに競技の種目や規定の整理が進み、近代オリンピックの基礎が確立されました。
第一次世界大戦により、1916年の第6回ベルリン大会は行われませんでした。しかし、オリンピック自体は消滅せず、1920年にはベルギーのアントワープで第7回大会が開催されました。その理由は、戦争の影響により国土が荒れ果て、国民が疲れきっていたベルギーを勇気付けることにありました。国際平和を掲げるオリンピックが、軍事力を背景とした帝国主義の時代に生き残ったことは、社会がオリンピックを必要としていたことを示しています。

国際的に広がっていったオリンピック

オリンピックは、第二次世界大戦後、急激に世界へ拡大していきました。ヨーロッパやアメリカ以外の地域でも開催されるようになり、1964年には第18回東京大会が行われました。
オリンピックに参加する国(地域)や選手の数も増えていきました。1896年の第1回アテネ大会では14か国241人の選手の参加でしたが、2012年の第30回ロンドン大会では、204の国と地域から約10,500人の選手が参加しました。204か国(地域)という数は、国際連合の加盟国よりも多く、このことからも、オリンピックは今や世界中の人々が参加する世界最大の「スポーツの祭典」であるといえます。

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